茶助の備忘録

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【転職】パワハラ上司・総スカンの経験

茶助です。僕は大卒でアラフォーなので、薬剤師としてもう15年近く働いている。今でこそ働きやすい・子育てしやすい環境に恵まれているのだけど、20代の頃は悲惨な思いをした。

 

 

【1:パワハラ薬局長の職場】

新人1年目の頃は、チェーン薬局の会社にいた。その中で地元・愛知県にある、薬剤師4人体制の小さな調剤薬局で働いていた。そこでは薬局長(職場の長)なんて神のような存在だと思っていた。何か注意されるのが怖かった。

 

その1年目の前半は、厳しくても優しくフォローもしてくださる薬局長だったし、一緒に居た先輩が決して新人を怒らない人で、その人の存在も大きかった。「〇〇さんは遅刻した日はおとなしいのに、言い方も悪いよね。まぁ叩いて伸ばすタイプの人だから・・」って。先輩のこのフォローも嬉しかったし、一緒にご飯連れてってくれて、仕事に全く関係ない話(←これ重要!)ができたのも気が休まった。

 

1年目の後半は悲惨だった。パワハラ薬局長に替わった。優しい先輩は、医学部受験の為薬剤師そのものをやめてしまった。それからの半年はひどかった。まず薬局長は、新人の僕の事を「新人だから、何を言ってもいい」と思っていた。患者さんに薬を渡すと、あとで「薬歴」をかく必要があるのだけど、彼はあまり渡さず、新人の僕ばかりに振ってきていた(当然ぼくは大量の薬歴業務ができた、しかも薬歴記入は仕事時間内に出来ないお前が悪いから、仕事時間外で書けっていわれた)。土曜日の午後は薬局営業時間外だったが、その時も僕を帰さず無給で、仕事(薬局のレイアウト変更)につき合わせていた。休み希望をみんなに聞いていたのだけど、僕にだけきかず、仕方なく「どうしても〇月〇日休みたい」と言った時は、「お前は仕事なんも出来ないのに、休みたいなんて言語道断だ」って言われた。その日は大学時代からの、腹割って話せる友達の結婚式だった。

 

このパワハラ薬局長は、本当は僕の事を想って、体育会系流の育て方をしたかったのかもしれない。ひょっとしたら、僕がある程度できるようになったら、突然優しくなったのかもしれない。けどその前に、僕の心が折れてしまい、精神的にダメになった(具体的には、5㎎錠と10㎎錠の取り間違え、粉薬の1桁単位での測り間違いが、どんなに気を付けても止まらなくなった)。彼がたとえどんなつもりでも、受ける相手(つまり僕)には合っていなかった。

 

他の薬剤師・事務さんは日和見菌的な存在だった。この年の前半には優しかったのに、後半には「〇〇さんがこういうのも解るわ。新人時代はこういうもんだから耐えろ」だって。黄色ブドウ球菌のような日和見菌は、人が健康な時は何もしない。けど人が糖尿病・がん末期などで免疫低下すると、途端に悪さ(MRSA症)をしてくる。あの人たちは後半パワハラ薬局長に疲弊して免疫低下していた僕に、悪さをしてきていた。

 

 

 

【2:困った時は】

追い詰められて「自分は社会人失格なんだ」「食欲がない、食べ物に味がしない」って思う事があったら。

改善策は、仲直りすること・・・ではない。

 

嫌な環境から逃げ出すこと。

 

逃げ出すとは具体的には「配属転換を、強制的に申し出る」か「裏で転職活動をする」。ぼくはまず、裏で転職活動をはじめた。そうすると不思議な物で、気分が楽になった。「なんだ、あの▲▲って会社に拘らなくていいのか。僕を必要としてくれる場所は他にいくらでもあるじゃないか」って自信を得た。あの小さなパワハラ薬局長の店に、拘る理由はなくなった。その自信を得た勢いで、配属転換を申し出た。自信があれば強く言えるもので、パワハラ薬局には勤務先から外れた。あとから知った話だが、みんなパワハラ薬局長の噂は知っていて、その店舗に誰も行きたがらないから、僕を配属転換させようと言えなかったらしい。

 

【3:経験から得たもの】

自分がされてきた良い事・悪い事は、10年以上たつ今でも鮮明に覚えている。だから色々と書ける。

 

<リーダーの仕事=情報の流通>

リーダーはなんでもかんでも、自分流を押し付ける存在ではない。リーダーよりも優れた従業員はいくらでも居るのだから、彼らに頭下げて知恵を借りる位でいい。

 

<感情的にならず、冷静になる>

これはパワハラ薬局長に欠けていた部分。僕の休み希望をきかなかったのは、明確にこいつ見下してやるって感情が入っていたからだった。これでは仕事にならないし、こいつ自分の好き好きでやってるって信頼されない。冷静に、全員に同じように、休み希望をきくべきだった。言い方も「それでは信用されない・通用しない」なんて余計な一言でしかなく、言語道断。「僕ならこうすると、もっといいと思うがどうか」って冷静に言い分をきいてやれること。

 

<仕事以外の話は大事>

前述の優しい先輩にされて嬉しかったこと。仕事以外のどうでもいい話が、じつは大事な休まる時だった。だから今の僕は、どうでもいい話として、子供だとか、スキーだとかの話をしている。

 

<本当にダメなら逃げよう>

僕はこれしかできなかった。けどあの時逃げていなかったら、精神科でもっと強い薬だされて、不眠もひどくなっていただろうな。