茶助の備忘録

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【雑談】ボランティアの本音

ボランティア(又は実行委員)、経験ありますか?

 

茶助は結構やっていました。長野の台風19号ボランティア、2011年の大震災ボランティア。そして、近くの町の、秋の大きな祭り。

 

最後の「近くの町の、秋の大きなお祭り」は10年間続けていました。はいって2年目で、いきなり総務係の小委員長をやりました。前任者が辞めたからですね。

 

 【どんな祭り?】

中部地方の小さな町の、10月の夕刻の祭りでした。小さな町(5万人以下)だというのに、とても有名で、来場者は10万人をこえるものでした。

 

【僕の役職は】

ボランティアではなく、実行委員として動いていました。もちろん無報酬です。1年目は「楽しそうだから手伝いたい」と参加しました。

 

2年目には「総務の小委員長が辞めた!だから〇〇さん、やってくれ!」って言われて引き継いだ。

 

そしたら2年目の祭りは、いきなり雨で屋内開催。当日はじゃんじゃん電話鳴るし、いつもと流れ違うのでみんなテンパっていた。1年しか経験ない僕は、勿論すごいテンパりでした。

 

この総務小委員長の経験はいまでも役に立ってます。まず実行委員皆に、顔覚えてもらえた。マニュアル存在しないところに、イチから作った。今の仕事で「誰もやったことない、新しい事」(2020年4月からの診療報酬改定の対策、別ブログで書きます)をふられても平気です。

 

 

【やめた理由】

一言でいえば「実行委員を大事にしない」姿勢が、嫌になったからです。子供が小さくて手に掛かるだとか、遠くなったから難しいとか、そんなのは理由じゃありません。組織が大嫌いになったのです。

 

実行委員だから、人手がたりない部署でずっと動いてもらって当たりまえ。ひとでの足りないシャトルバス乗り場で、夕方~夜の終了30分後までずっと、警備を命じられた。しかも中学生ボランティアは帰っちゃうから、途中からぼく一人で。お祭りを見終わって、帰りのシャトルバス街の列は長くなりはみ出すくらいだった。なのに、僕一人だった。

 

事務局(彼らは給料もらってる)にバスをはやくよこせと言っても、ぜんぜんバスが来ない。

 

「無理なもんは無理

」って、電話口で帰ってくるだけ。

いいなぁ自分たちは暖かい室内で、バス待ち客の冷たい視線を一人で背負うこともなくて。

 

ぼくは2日間、おまつり開催中はいっさい会場に行けませんでした。

「今ごろ街中は楽しいんだろうな」「早く時間が過ぎてほしい」

って想いながら、冷たい視線を一人でうけていました。だから思ったのです。

「こんな辛いのだからこれで辞め、二度と実行委員なんかやらない!」って。

 

10年続けて・総務小委員長も2期務め・自作のマニュアルを未だに使ってもらっている。愛着あるに決まってます。辞めたくなかった。

 

【存続の危機と言われても・・・】

事務局長はいいます。

 

こんなに人が辞めてしまって、祭りの存続の危機だ。みんなの頑張りが、祭りを支えているんだ

 

でも逆に考えてほしいです。どうして辞めていくのか?辞めた人のヒアリングしたのか?タダで働いてもらうのに、尊厳ある扱いしたのか?臭いものにフタをして、根性論を説かれても仕方ないのです。