茶助の備忘録

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友達で苦労した時期(京都転勤の時)

今は結婚し・娘育児中の茶助です。今回はブログではなく、僕個人の過去の事。

 

30手前の冬に、会社に告げられた「京都転勤」。当時は独身で彼女もいなかったし、二つ返事で引き受けた。「憧れの京都に住める!これやり遂げたら、僕は京都はこうだったって話のネタにもできる!友達いなくても、仕事していれば何とかなるでしょ」と気軽に考えていた。3月末からの転勤だった。だけど・・

 

【1:友達がいない】

友達がいなくて寂しかった。元々京都方面に友達どころか、知り合いも一人もいなかった。職場の人は最初は警戒していて、岐阜からきた見ず知らずの30男に、気軽に声をかえてくれなかった。仕事中はまだまぎれた、仕事の話ができたから(それでも慣れない仕事内容でそれも怒られっぱなし)。だけど仕事のない日はつらかった。することはアパート(レオパレス)とスーパーの往復。会える友達などいない。紛らわすべく見に行った城陽市の桜が、寂しい思い出になった。きれいな桜並木の下で、入学したての中学生が楽しそうにしているのに。こんな幸せそうな世界で、僕だけ取り残されている感じだった。部屋に帰って、寂しさと「男が寂しいなんて言えない」ってプライドで押しつぶされて、泣いていた。

 

【2:介抱してくれる人もいない】

景気づけで買った生食用カキで当たった。研修いきの為乗った京阪特急の車内で、2回も嘔吐。引き絞られるようなものすごい腹痛で、研修は途中退場になってしまった。研修スタッフ➡職場に即座に連絡いき、暫く休む羽目に。レオパレスの一室でひとり、非常用にかってあったフルーツ缶&カンパンを牛乳に浸したものでなんとか、食いつないだ。医者にもスーパーにも行けないくらいつらい数日だった。(今思えばタクシーで近隣内科行くべきだった)

 

【3:京都人はおっかない】

京都南部(宇治市)に居た為、お店のお客さんはおっかないモノだった。なんでもすぐまけてくれ、という。『私は店長特別に、全商品10%引きとお墨付き頂いてるの。なんで私の顔しらないの!』なんて無茶ぶり客もいた。『子供が売り場におもらししました。あなたスタッフでしょ、拭いといて』なんてお客もいた。『火事で家が燃えて物品がない、これとこれ恵んで』といった客の指には、ダイヤの指輪がはまっていた。とんでもない土地だなと思った。

 

【4:だけど友達はできる】

2か月もたつと、マジメにやっていれば職場で話相手くらいできる。仕事のグチもとても多かったけど、僕は悪口はいっさい言わず(同調せず)通した。時々結構ハッキリ物を言っていたけど(京都人はズバリ指摘する僕に面食らっていた)、信用はされていたみたい。そのうちプライベートでも飲み会に誘われる様になっていた。そしたら耳より情報はいっぱい貰えるし、何より寂しいとおもわなかった。京都の人は癖のある人もいるけど、仲良くなれば親切にしてくれる。何より気遣って笑わせてくれる人が多くて、みんな優しいやんって思った。

 

【5:友達いない時期の後悔】

友達をつくるアクションを、もっと起こせばよかった。スポーツサークルでもなんでもいいから。それこそコレ。 

chaske1024.hateblo.jp

 あとは宇治ならではの事をもっとするべきだった。(茶摘み・お茶教室とか)そしたら転勤してよかったって思えたし、友達ももっとできたはずだった。